
えー。
ひと月くらい前から喉がアレな感じではございましたが
体調を完全無視!してやりたいことをやっていたわけです。イッツ俺人生。
で 23日に日曜特訓、中三社会スペシャルという授業を
五時間ぶっ通しで行いまして
帰宅後に鑑定仕事も夜中まで行ったわけですが
かたかたかたかた。
激しい寒気とともに体が震えだし
あら? って熱はかったら38度あったので
あっちゃー、冬期講習の前なのにやべえー。って
24日は半日ほどがんばって寝込んで 無理に熱を下げたわけです。
25日はクリスマス特訓で朝八時半から四時間ぶっ通しの授業、
その後小学生にまみれてクリスマスパーティー、は するっとスルーして
神保町にダッシュしてレッスンと鑑定を行いました。
かたかたかたかた。
また寒気が呪いのように押し寄せてきたので 早退してさっさと寝て。
で26日から冬期講習、熱は38度5分でしたが知らんふりして朝から授業、
「せんせー、すっごい声ー!」と言われながらもご陽気に。
夕方、目が霞んできたのでなんだろな、と思いましたらいきなり
鮮やかなミントグリーンの膿が目玉からどろっと零れ落ちてきて
左目が完全にふさがるほど腫れて膿で濁り 前が見えない状態に。
翌日はほとんど声が出なくなっていて ついでに左目がまったく開かず
やむなく眼帯をして出勤したところ
「わー、せんせーは海賊になったー!」「せんせーがダースベーダーになったー!」
と 行くクラスごとにウケるのでむしろ面白くなって
潰れた眼と声で喋り倒してました。
夕方、アウェー校舎からホーム校舎に行く頃には完璧に失声していて
校長先生に代講をしていただく羽目に。
夜にはまたアウェー校舎で授業、こっちは誰も助けてくれないので授業を無理に続行。
翌日、朝から昼までそのまま授業をこなし、
午後の数時間、また校長先生が代講を買って出てくださったので 病院へ。
まず眼科に行ったところ(待合室で作文の添削をしていて気味悪がられた)
ウィルス性結膜炎と判明。検査の結果、伝染性ではないとわかって一安心。
ついでに、という軽い気持ちで、呼吸器専門医にも受診したところ
速攻でレントゲン、血液検査、呼吸機能測定、とハードなことになり
なんだよー咳止めだけ出してくれよー、と言いたいのに声が出ないから言えず
不承不承 診察室に座ったら。
やたら高圧的な医者がレントゲン写真を示して
「はい、あんた肺炎ね」
ごーん。
ばっちり白い影うつってますわね。あはははは。
「で、どうすんの。この年末のタイミングで入院とか、受け入れ口ないよ」
「(嗄声で)いや、今からすぐ仕事に戻ります」
「はあ?アタマ大丈夫?あんた仕事なに?」
「塾講師です。冬期講習、数時間だけ代講たてて抜けてきたんで」
「うう・・受験前か・・。まあ感染する肺炎じゃないから外行っても自己責任だけどさ、
悪化するのも自己責任だよ。こっち面倒見ないよ?いいよ、じゃあ次、一月四日に来るように」
「無理です。授業」
「ばかじゃないの?じゃあ七日!それまで診察に空きはないからね!」
「七日も授業だから無理ですね」
「・・あんたさあ!・・よく考えろよ、そこまで命かけるような仕事なのかどうか」
「そんなこと、とっくに考えました」
つって帰ってきて夜の授業をふつうに続行しました。
翌28日 コンタクトは禁止されたのでメガネで出勤、各クラスで生徒にウケる。
「せんせい、肺炎なう!」と言いまくってまたウケる。(馬鹿)
29日 少し声が出るようになったので元気よく生徒を叱りまくりながら
ふざけた授業を朝から晩まで機嫌よく繰り出し
うわああ肺炎が悪化する!と言いながら一日 お腹抱えてげらげら笑って
おれはしあわせだなあ、と思う。ちょっと血は吐いた。
30日 受験クラス以外の授業がないのでゆとりモードでゆっくり咳き込みながら
愛する小5アホ男子クラス(成績はいい)で発狂するほど笑いあい
都立小6選抜クラスで経済と世界情勢のコミカル談義を炸裂させ
中2英語クラスで可愛い可愛い京香ちゃんといっしょけんめー勉強して
終了ー。ことしの授業、終了ー。
た、た、たのしかった・・・。
というわけで 肺炎なう!
いまだかつて こんなに元気で幸せな肺炎の患者があったのでしょうか。
楽しくてたまらない仕事があって 大好きでたまらない人々と会えるかぎり
わが身の辛さ苦しさというものは ほとんど意識の外にふっ飛ぶものだなー、と
思ってるから。だから、こーゆーとこで体力過信してるから!
肺炎なんかになっちゃってるあたくしでございます。でもハピネス!
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