
「おれにまかせろ」!
お台場・日本科学未来館で開催中の
「世界の終わりのものがたり ~もはや逃れられない73の問い~」を
観てきました。
死と終末をテーマにした それはそれは重い感じの企画展です。
「浮かれた連休だからこそ、どよ~んと暗くなるものを観にいきましょう!」と
塾の先輩・Hぐちさんをお誘いして。
たいそうご陽気なテンションで ゆりかもめ乗って行きました。
「あ・・。Hぐちさん、やばいこと思い出しました」
「どうしました」
「私、五年位前に書きかけて、放置してる小説があるんですけど」
「はいー」
「それ、お台場に、死をテーマにしたミュージアムができて」
「え、予知!?」
「友達と二人でゆりかもめ乗って行くんですけど」
「まさに今この状況ですね」
「“死の体験ゾーン”でおかしくなって、戻って来れなくなる話でした」
「うわ、その伏線は死亡フラグ。みかみさん回収されないといいですね」
とか言いながらご陽気に。
辿りついた科学館は長蛇の列。
そしてまず突入したミュージアムショップ、充実しすぎ!
実験キット、JAXAグッズ、おもしろ科学グッズ、一日中でも見ていられそうな勢いで。
わあわあ言いながら
ミドリムシクッキー(一枚にミドリムシ二億匹!)を四箱、
宇宙食(エビグラタンとプリン)、生体透視スライドなど
興奮しながら買いこんでしまいました。
そして世界の終わり展示へ。
「予期せぬ死」ゾーンでは
“残された時間、あなたはなにをしますか?”の問いに
(参加型プログラムがいっぱいあって、自分で書き込んだり入力したりできる)
「死まで三十年・・それは“いのちをだいじに”ですね」
「たしかに。で、五年前になったら“ガンガンいこうぜ”ですね」
「ですよねー。そして、死の五秒前になったら」
「“じゅもんをせつやく”」
「それ、五秒前に節約しても!」
・・なぜかドラクエ。
深刻な問いかけが73も立ち並ぶ会場、ダークなモードに入るべきなのに
わたしとHぐちさんは 最初から最後まで笑いが止まりませんでした。
まずい。参加者の手書きメッセージが、お、おかしすぎる!
神社の絵馬が 誤字&変な文でむちゃくちゃ笑えることがありますが
それが大量に集まっている状態です。
“永遠に残るものとはなんでしょうか?”の問いかけに
「さっかーせんしゅになれますように」それ願い事や!
「ドアラ」なんで!
「俺」自己中!
「ピンクのもうふのやすらぎ」なんだそれは!
“死ぬ前にやりたいことはなんですか?”の問いかけに
「しゅくだいをおわらせる」て、手伝うよ・・。
「ぱぱとままがりこんしませんように」重いよ、その願い!
「浮気しない彼女をつくる」あの・・。
「ロッボトがむてき」あああ、ロッボト!じわじわくるわ!
「ドアラ」だから、なんで!
だんだん問いかけも 大吉利みたいになってきて
“りんご、で想像するのはなんですか?”
「ゴリラ」しりとりや!
「東京事変」そっちの林檎さんか!
「ひらゆきひめ」誤字なの?それとも?
「しゃく、しゃくしゃくする」感覚的!
「ドアラ」もうええわ!」
もはや笑いすぎて酸欠で意識が遠のき 脚がぶるぶる。
「Hぐちさん、わ、わたしヤバいです、クラクラする、終末が近づいてます・・」
「いやいやいや、笑いすぎて死なないように!いのちをだいじに!」
・・なんだか、別の意味で終末を見た展示でした。
いやあ、おもしろかった。
深刻に真面目なひとと行くと 深刻になれる展示なのでしょうが
基本的に“おもしろさ”基準で生きてるひとが行くと 笑い死にかけます。
Hぐちさんもわたしも 身内に実は死者や重い病気のひとが多くて。じつは人生、深刻で。
その中でも笑って今日を生きる、ことに慣れているので。
あえて重いテーマを問いかけられると 笑いのめすパワーしか出てこない。
いんじゃないかな。
と。
それが結論で。
死を約束された人生をひしひし感じていようとも。
死の三十年前でも。五秒前でも。
わたしたちは。
たぶん笑っている。
たとえ自分の中ではずどーんと その重みを感じすぎていようとも。
ひとと一緒に時を過ごすときには。
おもしろいことしか言わない。
「夜と霧」を書いたフランクルも アウシュビッツ収容所を生き延びることができたのは
「身近なものをみて、仲間と一緒に意味を感じてそして笑う、想像して楽しむユーモア」だと
精神科医として結論付けています。
Hぐちさんの爽やかな明るさに とっても救われて 笑いすぎて
化粧がはげはげに落ちるほど笑って楽しすぎた、そんな一日でした。
Hぐちさん、だいすき! ありがとうございました!