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ワンドの8

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無題

人生でいちばん忙しかったのは、おそらく高校二年生の秋だ。

私は文化祭の実行委員長だった。
都立芸術高校という、美術科・音楽科を合わせても全学年で6クラスしかない、
とても小さな規模の高校ではあったが
年に一度の学祭はそれなりに盛大だった。

私は、やたらと多くのクラブに入っていた。軽音、漫研、文芸、演劇、etc.
自分たちで立ち上げた同好会もいくつかあり、文化祭当日には
大掛かりなダンス舞台や、バンドのライブをステージで披露することになっていた。
クラス単位での出し物も勿論ある。
そもそも美術科の学生なので、普段の勉強や課題の製作もあった。
そうした中で、会議につぐ会議、設営、プログラムの準備、外部との連絡などの仕事が
雪崩のように押し寄せてくる。汗かき走り回る日々。

…という記憶は、実はおぼろげである。
なにしろ三十年以上も前のことなので、あまり憶えていない。

基本的に私は忙しがりだ。いつも時間がなくて、せかせかしている。
常に複数の仕事を並行して行っていて、趣味も多く、学びたいことも多い。
タロットだ塾だ乗馬だボクシングだと走り回り、
人とも会いたいし旅行もしたい、本も読みたいし文章も書きたいし
絵も漫画も描きたいし語学も園芸も家の中の雑事もばっちりこなしたい!と
気負いこんだ挙句、どれも中途半端になる。
実りのない、困った性分である。

大体いつも忙しがっているのだが、高校の文化祭がいちばん大変だった!と言えるのは
ひとつの確かな記憶があるからだ。

当時、私はスケジュール帳を使っていた。
ごくありふれたノート形式のもので、見開き2ページにひと月の予定を書き込むスタイルだった。
一年の終わり、新しいスケジュール帳に切り換えるときに
びっしりと日々の記録が書き込まれたページをパラパラとめくって
私は思わず笑ってしまった。

文化祭のあった10月だけ、真っ白なのだ。
何の書き込みもない、白紙の見開き。

本当に忙しいときは、スケジュールを書く暇すらない。
覚え書きをメモする暇すらないのだ。

白紙のページは、あまりの忙しさにおそらくは真っ白になっていた、
私の頭の中のようだった。



ワンドの8の札には、人が描かれていない。

びゅーんと空を切って飛び去る八本の棒があるだけだ。

紀元前から中世までの戦争をイメージすると、この絵柄の表すところがわかる。
敵の城塞、侵略したい陣地に攻め込むとき、飛行機やミサイルはない。
投てき器を用いて、重い石や燃えさかる棍棒を飛ばすのだ。
砦を守る者たちが燃える矢に射抜かれたり、打ち込まれる丸太に弾き飛ばされたり、
といった戦いの様子を、映画で観たことのある人もいるだろう。

ワンドの8では、すでに戦いが始まっている。
青空を切り裂く棒は、すべて平行に描かれている。
最長距離を最短時間で飛んでいくこの棒は、スピードを表現している。

考え得る限り最も速い変化。
スムーズな進展と迅速なアプローチ。
正位置である限り、スピーディな展開に邪魔は入らない。快調だ。

逆位置になると、棒はまっすぐに飛ばず、ぶつかりあって
がちゃがちゃと落下してしまう。
進展の速さについていけないのだ。焦りと恐怖に襲われてたじろぎ、
スピードに振り回されてしまう。望みは果たせない。

平行に真っ直ぐ、どれもがぶつかりあうことなく、滑らかに進むのであれば…
速度は味方になる。
最短時間で多くの結果が出せるだろう。

能力や限界を超えて、無理に急ごうとしているのであれば…
速度は敵になる。
猛烈な勢いに吹き飛ばされ、無念の臍を噛む。


先日、初の落馬を経験した。
暴走した馬の背から、勢いよく吹っ飛ばされたのだ。

時間が惜しくて、何もかもと欲張って、急いで焦って無茶をした結果だ。
雑な人間はスピードに乗れない。

どんなに忙しくても、スケジュールをしっかり管理できて
ひとつひとつを丁寧に確実に進められる人にしか
目標の同時進行は許されないのかもしれない。
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categoryタロット

ワンドの7

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th61ZM24OZ.jpg

タロットで迷子を捜したことがある。

迷子と言っても小さな子供ではない。うちの父だ。

休日の、家族連れでごった返すデパートだった。
弟夫婦の家を訪ねるところで
私にとって甥、父にとっては孫、に当たる男の子たちのために
おもちゃでも買っていこうか…と、玩具売り場に立ち寄ったのだった。

うちの父は自由すぎる性格の人で、自分の興味とリズムだけで飄々と歩く。
ワンフロアを埋め尽くすおもちゃの大群に夢中になったのか
ふと気づいたときには、私の視界から消えていた。

慌てて探したが、見つからない。
携帯電話にコールしても、電源が切れていてつながらない。
スポーツ用品や洋服を見に行ったのかも、と
他の階を探してうろうろしたのがまずかった。
余計に、どこにいるのかわからなくなってしまったのだ。

さすがに、館内呼び出しのアナウンスをして貰うのは気が引けた。
迷子はちびっこではなく、高齢者なのである。徘徊老人と思われかねない。

困り果てた私は、携帯していたミニチュア・タロットを取り出した。
「父がどこで見つかるか」という命題に焦点を合わせて、カードを引く。
「ワンドの7」と「ⅩⅦ・星」の連鎖だった。
“見晴らしの良い高いところ”と解釈する。

一階のインフォメーションまで降りて、フロアマップを確認した。
あった。これだ。ここのことだ。

地下二階の食品売り場は吹き抜けになっているが、
半分ほどの広さで地下一階がかぶさり、カフェや休憩所のあるデッキが張り出している。

そのデッキに立ち、私は地下二階の食品フロアを眺め渡した。
ほんの数分後、眼下の通路を、父がのんびりした様子で歩いていくのが見えた。
私は脱兎のごとく階段を駆け下りて、無事に父をつかまえた。
「ありゃ。どこにおったんじゃ?」と、呑気に言っている父を。


ワンドの7には、小高い丘の上の方で応戦する人物が描かれている。
複数の敵が下にいるが、自分が上に立っている分だけ状況は有利だ。
優勢である故に強気の勝負を挑むこと、
有利な立場で対決することを、このカードは意味している。


上から見れば、ものごとはよく見える。
俯瞰の視点は神の視点だ。


教壇からは、生徒たちの様子が本当によく見える。
自分が生徒だったころは思いもよらなかった。
机の中で携帯電話をいじっていたら、即座にわかる。
ましてやカンニングなど、気付かずにいるのが難しいほどだ。
人の脳には、人の目線、眼球の動きに反応するニューロンがある。
焦点を合わせずにぼんやりと視界全体を見ていても、
誰かの目がちらり、と動くだけで反応するのだ。
あの男子はこの女子が好きなのだなあ、とか
あいつは真面目に聴いている顔をして半分眠っているな、とか
すべて見えている。
一段上の教壇に立っているのだから。


自分の位置が高くなればなるほど、下のものはちっぽけに見える。
「人がゴミのようだ」と言い出しかねない。


冬期講習の最中だったが、悪化した風邪が治らず高熱が出ていた。
呼吸をするたびに胸が痛み、咳き込むと口から血が飛び散った。
大晦日の前々日、一時間だけ休講させてもらって病院に行った。
すさまじく高圧的な医者がいて、自分の偉さを得々と語りながら
患者である私の顔は一度も見ないで診察をした。
肺炎だった。
そうであっても休めないので教室に戻る、と言うしかなかったが
医者は鼻で笑い、馬鹿なんじゃないの、と言った。

その病院には二度と行っていない。


思い上がった人間になる三大職業、というものがあるらしい。
教師、医者、占い師、なのだそうだ。

どれも、いつも下から教えを請われ、命や運命を託す人々に拝まれるため
いつの間にか生徒や患者や客を下に見るようになり、
とんでもなく思い上がった、増上慢の俗物に成り果てる…という。


そのうち二つを生業としている私としては
思い上がるほどの力も業績もないからこそ、勘違いに陥らないように
いつもいつも、振り返り続けるしかない。

ワンドの7は、いつだってあっさりと逆転する。
自分はひとりきりで下にいて、上から複数の敵に棒で叩きのめされる、という
圧倒的に不利な立場に追い込まれかねない。

上の方に立つのは、ものごとをよく見晴らすための手段なのだ。
困っている人、迷っている人を見つけるために。

手段と立場を勘違いした瞬間に、人は奈落に転がり落ちるのだろう。
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