
馬が合う馬と、馬の合わない馬がいる。
なんだかややこしいが、乗馬の話である。
慣用表現の「ウマが合う」は、もともとの性質の組み合わせが良く、努力しなくても気が合うことを表す言葉だ。
書いて字の如く、日本における乗馬(のりうま)から来た表現である。
乗り手の人と、乗られる馬。
どちらも生き物で、様々なバックボーンを背負っているからには
性質、特色も千差万別。
その組み合わせは、最良から最悪まで、さまざまなレベルが考えられる。
最良の組み合わせは、お互いの能力を最大限に引き出しながら、
信頼し合ったパートナーとして大舞台にも挑戦できる、ミラクルなものになるだろう。
馬術でオリンピック優勝できるような人馬のペアは、ウマの合い方も最高であるに違いない。
最悪の場合は…おそらくは大事故を引き起こす。
馬は本能的に乗り手を嫌い、乗り手はその馬を見ると苛々し、ひどい扱いをする。
馬はますますその人を憎み、人もさらに馬を厭い、それでも乗らなければならない場合は、
心無い騎乗に混乱、あるいは激怒した馬が反発して予想外の行動を取り、
落馬や人馬倒が起こる。悪くすれば人は亡くなり、馬も処分される。
「ウマが合わない」ゆえの不幸である。
たかだか相性の問題が、最悪のエンディングにつながることだってあるのだ。
クセが強くて難しいよ、と言われる馬がいた。
鹿毛の大きなセン馬である。
まだ経験の浅かった私は、かなりこわごわとその背に乗った覚えがある。
しかし、跨ってびっくり。
それまで他の馬に感じていた乗りにくさ、難しさが一切感じられないのである。
おそらくは、その背のカーブや首の上げ方、脚の運びのひとつひとつが、
たぶん私の骨格や筋肉や動きの特徴に、ぴったり合っていた。
私も乗りやすいが、馬も乗せやすかったのではないかと思う。
ベテランの古馬は、初心者の間違いをひとつひとつ是正するように動いてくれた。
教えてくれていることが、いちいち私にもピンとくる。
その日のライディングレコードには、こう書いてある。
「合わない、乗りにくいという人が多いが 相性良、すぐに正反動に入れた。
馬にゆずる、任せることをおぼえた。職人さんのような馬、教わること多し」
この「職人さん」は、残念ながら、その後しばらくして
天国に旅立ってしまったそうだ。
久しぶりに訪れたクラブで、そんなことを予想もせず、知らされてもいなかった私は
空っぽの馬房、外された名札に気付いて、呆然と厩舎に立ち尽くした。
仲良しの馬や、可愛い馬、お気に入りの馬はたくさんいる。
乗りやすい馬、難しいけれど挑戦したいと思う馬もたくさんいる。
でも、ウマが合うと感じた馬は
あの一頭だけなのだ。
タイミングの問題もあるだろう。
はじめて乗ったとき、私の技術がもっと上だったら
初心者向けのオートマチック馬だな、と感じて
相性がいいとは思わなかったかもしれない。
あの時、その瞬間、お互いのニーズががっちりと噛み合っていて
お互いに息の合った感覚を得る。
誰かと誰かがぴったり合うとは、そういうことではないだろうか。
生き物は、時間と空間と魂の複雑な複合体だ。
ある瞬間ですぱっと切った断面が、誰かのそれとぴったり一致する。
稀有なことだ。
なかなか起こり得ない。
だから、ウマが合うとは言いきれない相手でも妥協する。
合わないながらに時間を共有しているうちに、なんとかしっくりいくのではないか…
と。
建前としては私も、多少のすれ違いなんか努力して克服なさい、
自分が成長すれば相手も成長するんだから、などと言うことがあるが
本音としては、感覚がNOというものは絶対に受け入れられない。
ウマが合う、合わないは感情と感性という、非合理的な機能から生じているので
コントロールなどきく筈がないのだ。
だからこそ、私はこの昔から言い慣わされた言葉を信じようと思う。
「ウマが合う」という感覚は、どんな理屈よりも正しいはずだ。
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