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ワンドの5

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教室に入ると、小学六年生の男の子が二人、白熱した議論を交わしていた。

授業前のひと時。
私が講師をつとめている塾でのことである。

ホワイトボードに図まで描いて、自説を強調することに熱中している。
二人の考えは真っ向から対立していて、互いに一歩も譲らない。

なかなか面白そうだったので、授業など放っておいて
私は二人の張る論陣を傾聴することにした。

なにしろ、彼らが論じているテーマは

「運命は変えられるのか、それとも変えられないのか」

というものだったからだ。

形而上的な哲学論争で概念的思考を発達させる小学生。
「室町時代の文化」について授業をするよりもずっと勉強になるだろう。

普段の彼らは、そのような舌戦を繰り広げるようなタイプではない。
私立中受験をする位だから育ちも頭も悪くはないが、
どちらかと言えばチャラい。都会の現代っ子だ。
ネットを通じて大人顔負けの情報を知ってはいるが、
根はふざけん坊でノリの良い、遊び盛りの小学生である。

それが、運命について論争。
ディベートごっこでも、大人の真似事でもなかった。

何気なく話しているうちに、
お互いの考えが異なっていることに気付いたのだろう。
たぶん、生まれて初めて。
同じ環境にいる同世代の同性が、自分と異なった概念世界に住んでいる。
本当にびっくりしたのに違いない。

驚いて相手の論拠を確かめ、自分の信念を伝えようとし、
それが伝わり切らないことに歯噛みしながら
懸命に話し合っているのだ。

「ちがうちがう!こうだろ、運命ってのはこう
(ホワイトボードに描いたいくつかの〇を矢印でむすぶ)
つながってて、次にどうなるかは決まってるんだよ」

「いや違うね、こういうふうに(〇からたくさんの矢印が出ている図を描く)
未来はいろいろにつながってるんだよ。どっちに行くかはわからないんだ」

「じゃなくて!それは過去から未来を見た場合だろ?俺が言ってんのは…」

「未来から過去を見るってのがまずあり得ないだろ、人間の運命なんだからさあ…」

K君が主張しているのが伝統的な運命論で、
S君が説明しているのは自由意志論のようだった。

何千年も繰り返されてきた論争を、今ここで小学生が自発的に。

当然ながら、この論争に決着はつかない。


意見が相容れないことに業を煮やしたK君、S君が
「先生!どっちが正解なんすか!」と訊いてきたが
もちろん正解なんてない。

どちらの意見も正しいのだと言ってはみたが、
そうした場合にありがちな結果として
双方から不満な顔をされることになった。


どっちだっていいのだ。

大事なのは、彼らが子供ながら本気で、むしろ子供だから真剣に、
自説を絶対にゆずらず、それでも相手の考えを肚の底から理解したくて、
徹底的に論争をしていたことなのだ。


ワンドの5の札には、棒で交戦する五人の人物が描かれている。
各々の服の違いは、立場と考え方の違いを表している。
俺が!俺が!と主張し合って譲らない、一歩も退かない人々。

喧嘩札、争いカードと呼ばれる札である。
正位置でも、逆位置でも「ケンカはダメよ」とばかりに
否定的な意味に解釈する人も多い。
平和主義者にとっては心地の悪いカードなのだろう。


とは言え、闘争心は最も原初的な衝動なのかもしれない。
恐怖と同じくらい古く、強い。
生き延びることに直結した感情だ。

その表出を抑えなければ、社会では生きていけない。
闘争心をコントロールできない者のために刑罰はある。
転換するか、昇華させるか。


スポーツ競技の場でそれを炸裂させること。
頭脳戦でもいい。何を競うのでもいい。
互いの力を認めあったうえで、同じフィールドで同じ武器を使い
力を戦わせるワンドの5のカードは、決して悪いだけの札ではない。
闘うことの価値を見せてくれる札だと思うのだ。

子供ながら、互いの論拠を尊重しつつも微塵も退かず、
信念と主張を戦わせていたK君とS君が、とても格好良かったように。
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