
数年前まで、うさぎと一緒に暮らしていた。
「飼っていた」と言わないのには理由がある。
彼(牡兎である)は我が家のおおかたの場所を自分のテリトリーとし、
自由闊達に駆け回り、遊びまわり、跳ねまわって暮らしていた。
どちらかと言えば、私のほうが自分の居場所を探してうろうろしていた。
広くもない2DKのマンションだが、専有面積が大きいのはうさぎの方だったのである。
彼が事情によって家にやってきた当初、うさぎのケージは廊下に置かれていた。
おずおずとケージから現れた彼は、まず廊下のすみにおしっこをすることでテリトリー宣言をした。
一緒に住み始めて一月足らず。
私が仕事部屋にしていた四畳半ほどの小部屋は、うさぎに召し上げられた。
数週間後。彼はダイニングまで出張してくるようになった。
さらに数週間。リビングが彼のお気に入りの遊び場になった。
小部屋から廊下を駆け抜けてダイニングで跳躍、そのままリビングにダイブして
気足の長い絨毯が草原でもあるかのように走り回り、嬉しそうに鼻を鳴らす。
放し飼いの自由さが功を奏したのか、彼はうさぎとしては記録的な長寿を全うした。
しかし、今も不思議に思うことがある。
彼がテリトリーとしなかった、むしろ、入るようにうながしても絶対に肯んじなかった、
数少ない場所があったことだ。
彼は浴室と脱衣所には決して入らなかった。
しかしこれは、家に来たばかりの頃にいちど、あまりにお尻が汚れていたので
無理にお風呂に入れて洗ったときの恐怖が尾を引いていたのかもしれない。
謎めくのは、キッチンに立ち入らなかったことだ。
ダイニングとキッチンは完全に一体化していて、扉も段差も何もない。
ただ、ダイニング部分にはカーペットが敷かれ、キッチン部分はビニールクロスの床材という差だけだ。
うさぎは決して、どんなに浮かれて走り回っているときでも、キッチンに一歩も踏み込まなかった。
私が彼の好物の明日葉やリンゴを持っているときも、ダイニングのぎりぎり端でぴたりと止まり
いかにも欲しそうにぐうぐうと喉を鳴らすばかりだった。
謎である。
彼なりに、自分のテリトリーはここまでで、境界線から先は人間のテリトリー、と
決めていたのかもしれない。
ところで、縄張りという言葉は奇妙である。
人間が自分の領域として意識する範囲、言い換えれば他者の接近を不快に思う距離のことは
パーソナルスペースと言う。
「縄張り」を持つと表現されるのは、基本的に動物だけである。
人間では、勢力争いを繰り広げるある種の職業の人についてのみ、
揶揄の意味合いで「縄張り」と言うのではないだろうか。つまりは動物扱いである。
考えてみればおかしなことだ。
「縄」を「張る」のは人間だけだ。
古来、領地や城の範囲を決める際に縄を張りめぐらして場所取りをしたことが語源らしいが、
動物はそんなことはしない。尿や臭腺でマーキングするだけだ。
「縄張り」とは、擬人的な表現なのである。
ワンドの9の人物は、幾本もの棒を立てて縄張りを守っている。
見たところ棒の間隔はスカスカで頼りなく、誰でもいつでも侵入できそうな状態だ。
つまりこれも、形式としての「縄」であり、心理的なテリトリーの表明だと解釈できる。
この領域に入りにくいのは、棒というより中の人物の顔つきのせいだろう。
負傷した頭部に包帯を巻き、こんど俺に手を出したら容赦しないぞという形相で
肩をすくめるようにして自分を守り、胡乱そうに辺りをにらんでいる。
いわゆるところの“近寄らないでオーラ”を存分に放出している。
防衛心、ガードの固さ、縄張り意識、抵抗力、領分、シャットアウトを意味するこのカードは
見ようによっては痛々しい。
必死に守っていなければ壊れてしまう脆さを感じさせる。
なぜか。
「縄張り」が成立するのは、そうでない場所のほうが圧倒的に広いからである。
テリトリーの語源はterra、つまり地球、つまり大地であるわけだが
そもそも、地球上の大地に境界線などない。
そこを小さく区切って、一時的に自分の場所とするのは動物だ。
しかし動物は、自分が立ち去ったあと、死んだ後もそこが縄張りであるなどと思わない。
そんな勘違いをするのは人間だけだ。
縄やら棒やら石造りの壁やら、国境線やら不動産売買やらで地球を区切り
そこが自分のテリトリー、未来永劫自分のもの、などと勘違いしているのは
人間だけである。
百年、千年もたてば、そんな縄張りは残っていないだろう。
一万年、十万年後。大地そのものも形を変え、地球が続いているかどうかの保証もない。
どだい、自分の死後も自分のテリトリーであることに何の意味があるのか。
犬のおしっこと大差ない、ほんの一時のマーキングでしかないのに
自分を支える大地そのものだと誤解して、しがみつこうとする意識は痛々しい。
領土を区切った瞬間、その外はすべて敵の土地になることも
実際に仕切ってみるまで気づかないのではないか。
とは言え、ひとときの安全、一時の安心でさえ得難いのがこの世界である。
しばらくの間でも、ある場所を自分のしるしで区切って、
世界の中に「内側」をつくって、
ほっとしていたい…というのが、人間を含めての動物たちの本音ではあるだろう。
縄張りづくりとは、痛々しくも可愛い、弱い生き物のゲームなのかもしれない。
うさぎがキッチンに立ち入らなかったのは、おそらく
「どこかで区切らないと、自分のテリトリーが実感できないから」
ではなかったか、と、今は思っている。
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