categoryタロット

ワンドの4

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家から出ることが、怖くてたまらない頃があった。

外では何が起きるかわからない。
見知らぬ人や予測のつかないことすべてが恐ろしかった。
心が弱っていた時期だったのだと思う。

家の中は、楽しくも素晴らしくもなかったが
少なくとも安全だと思われた。
外から何かが攻めてきたら、あっという間にぺちゃんこにつぶれてしまう程度の
「かりそめの安全」ではあったが。

外に出ないでも生きていけるのであれば、
そのまま引きこもりになっていたと思う。
運よく、運悪く、どちらなのかはわからないが
働かなければ生きてはいけなかった。
外の世界にはたくさんの用事があり、会うべき人があり、出かけていく必要があった。
億劫さと恐怖感を全身に詰め込んだまま、
一歩ずつ外へ、少しずつ長く、ちょっとずつ遠くへ、
自分を鼓舞しながら外へと向かった。

本当に少しずつ。

いつの間にか、楽々と外の空気を呼吸できるようになった。

いつしか、足取り軽くどこまでも歩き回るようになった。

とうとう、家に帰るのがつまらなくて、いつまでも外でうろうろ遊んでいる人間になってしまった。

引きこもりの逆は何だろう。出ずっぱり?解き放ち?


外の世界は変化と思わぬアクシデントの連続だ。
そこに新鮮な風があり、うまく波に乗れたときの楽しさがある。

内側の世界は、いわば人為的な無風状態だ。
波立たせず、予定調和をどこまでも続ける。

ひとりでその状態をキープするのは、心が疲れて外の波乱に対応できない時だろう。
内省が必要な時期も、人生には必ずある。
冬の間の種子のように、自分の中身を守り通したら
来たるべき春には、外に向かってぐんぐん伸びていくことができる。

ひとりで「お籠り」するのは、悪いことばかりではない。


怖いのは、集団の内側に籠ることだ。


内輪の世界。その中だけの安定と安全。
そこにいるときは仲間とつながっていて安心だ。
同質なものに囲まれている。予定外の怖いことなど起こりはしない。
そこから排除されるという恐怖以外は。

夜十時ごろのスーパーマーケットに、十人ほどの若者のグループがいた。
狭い通路で全員がポーズを取って写真を撮り合ったり、
携帯のビデオ通話で他所にいる仲間と話し合ったり、賑やかに騒いでいる。
ここは休日のテーマパークではない。平日深夜のスーパーマーケットだ。
勤め帰りの疲れた人たちが、はやく買い物を済ませたいとレジに並ぶ列に割り込んで、
大声で話し、撮影し、端末に向かってポーズを決める。

異様な光景だった。

彼らにとっては、自分たちと、電話回線でつながっている友達だけが現実の存在で
周囲の買い物客や店舗のスタッフの困惑顔、怒りの雰囲気など
存在してはいないのだろう。


ワンドの4は仲良しカードだ。
故郷に帰ったところなのか、旅先で訪れたフレンドリーな村なのか、
花飾りのもとで人々が歓迎してくれている。
安全と安定、リラックスできる環境、仲間、友人。

和やかで安らかなカードではあるが、この札はときどき怖い。

もともとは、何の境界もない自然の世界を、人は四角く区切って
自分の場所だと決める。そこは守られた、安全な味方の場所になる。

しかしその瞬間、四角の外側はすべて敵のいる場所に豹変する。

外側は、内側をつくることで発生するのだ。

ワンドの4の札で手を振る人々は、仲良しには違いない。
しかしそれは、外側の世界にも共に冒険に出掛けられる、本当の仲間だろうか。

内側にいるときだけの仲良しは、おそらく一番こわい敵にもなり得るのだ。
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ワンドの3

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山頂で初日の出を見たことがある。

凍りつくような夜明け前の空の下、
御来光を拝むために詰めかけた人々で、山はぎっしりと混み合っていた。
厚いコートや毛布にくるまって、白い息を吐きながら
東の地平を見つめ続ける。

漆黒の空の裾がすっと、フットライトを浴びたようにほの白んだ。
と、見たこともないほどに赤い、恐ろしいほどに赤い一点が地平線に現れて
それがみるみるうちに上昇し、溶けるかのように真紅を脈動させながら
膨らみ、もはや直視できない光を放つ円盤となって
猛スピードでわたしたちに迫ってきた。

群衆は瞬時、息をつめて
どおん、と轟くような嘆声を放った。
それは日が昇る、というよりも
彼方にある太陽に向かって、
わたしたちの方がぐんぐん近づいていくように見えたからだ。

実際、その感想の方が正しいのである。
太陽は動かない。
動いているのは地球のほうであり
ぐるぐる回りながら太陽に向かって進んでいくのは
わたしたちの方だからだ。

岬に立って東の水平線を、そこから昇る朝日を眺めれば
まさしく船の舳先に立って、進んでいくかのように思えるだろう。

地球は時空を航海する船なのだ。


ワンドの3の人物。
彼は突端に立ち、遥かな水平線を見つめている。
海原は夕焼けの色を映し、長い一日がついに暮れたことを告げている。
彼は冒険に出て、ひとまわり成長して帰ってきたところなのだ。
しかし、その目は故郷に向けられていない。
次の目標、更なる目的にまっすぐ注がれていて、
決して過去を振り返ったりはしないのだ。


3という数は画期的である。

ひとつの物体や、概念があるとする。これが1。
それに対して、別の物体や反対の概念が現れる。それが2。

重ならない二つの点は、相容れない別の存在であることを意味する。
テーゼとアンチテーゼ。
対立する二つの概念。
それは決して、重なることも混じりあうこともない。
世界は光と闇に二分されて睨み合い、
白か黒かいつも選択しなければならない。
世界の端と端。
ターミナルな関係。

3という数字は、とんでもない次元からやってくる。

テーゼとアンチテーゼは、止揚されて高次元で統合する。
分断されたふたつのものは、別のレベルにおいて溶け合い、一致する。
地上で対立していても、天上ではひとつになれるのだ。
双方の眼に映ったものが、脳内で単一の画像になるように。
決して底までは解り得ぬ男女の心が、その子供の上でひとつになるように。

3という数字は、だから迷うことがない。
葛藤が解消され、次なる次元にぐんぐん伸びていく力が3なのだ。


山頂で日の出を待っていたとき、夜明け前のいちばん暗い空のもとで
わたしはたしか何かに迷い、何かを悩んでいた。
人生が大きく変わろうとしているときだった。
決められず選べない、煩瑣な思いがぐるぐると脳内を巡っていたが
それは来光の瞬間に、群衆のどよめきとともに、
どこかに吹き飛んでいった。

悩もうと悩むまいと、迷おうと迷うまいと、

地球という船は、わたしを舳先に乗せて
時速900ノットで、太陽に向かって進んでいることに
気付いたからだった。
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ワンドの2

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始めて二足歩行をした人類は、きっと全力疾走しただろう……と言った人がいる。

後脚だけでバランスを取ることは難しい。
立ち上がってはみたものの、倒れそうになり、あわてて片方の足を前に出す。
するとまた前によろめくので、もう片方の足を前に出す。
倒れまいとして交互に脚を前に運び、
結果として猛スピードで走ったのではないか、と言うのだ。

それが真実か否かは誰にもわからない。

わかるのは、現代においても、バランスを取ることこそが最も難しい、ということだ。


ワンドの2の札には、意志と野心の世界において、
過去と未来のちょうど真ん中でバランスを取る人物が描かれている。

未来の方向である右手に持っているのは、地球儀だ。
将来の計画と展望を表すモチーフだが、見た目の通り、
全世界のすべてを手中におさめようとする野望と考えてもいい。

過去の方向である左手に持っているのは、四大元素の火を象徴するワンド(棒)だ。
この棒は、彼が立っている堅牢な砦につながっている。
これまで築き上げてきた実績、テリトリー、スキルのすべてを踏み据えて、

彼は未来と過去の真ん中に佇立している。
将来のヴィジョンと過去の来歴は、きれいにバランスを保っている。

過去の経験を礎とした未来の計画は、実現の可能性大だ。
逆を言えば、経験もなしに目標を掲げてもうまくはいかないし、
せっかくの実績を役立てない今後の進路は、不安定なものになるということである。



働いたことがない、という女性がいた。
二十代後半で、親元を離れて一人暮らしをしていて、働いたことがないのである。
生活費も小遣いも、余るほどに親が送ってきていた。

彼女には友達がひとりもいなかった。
潤沢なお金を使って、独りあちこちに旅行に出かけた。
旅先で若い男の子に声をかけ、誘うことがよくあった。
派手で素行の悪そうな男の子が好きだった。
悪そうであればあるほど、ひどく惹かれてしまうのだった。

自宅に帰ると、彼女は毎晩のようにマンションの壁を殴っていた。
摂食障害があり、体重は三十キロ台だということだった。



彼女のことを占うと、いつもワンドの2が逆位置で出ていた。
カードの意味を伝えると、彼女はしばらく考えこんでいた。

ぽつりと口を開く。

未来って……。わかりません。たぶん、親が連れてくる誰かと、結婚させられるんだと思う。
過去は……なんだったかな。自分の過去じゃないみたいで、ぼんやりしている。



過去も未来も、あまりにも虚ろな女性だった。
どちらも空っぽで、自分の力で立ち上がることができない。

過去でも未来でもいい、どちらかに突出した力があれば、と感じた。

とてつもなく満たされた思い出や過大な自負心、自惚れや思い上がりでもいい。
ありえないほど大きな夢や無茶な憧れ、一世一代の賭けに出るパワーでもいい。

片足が前に出れば、倒れまいとしてもう片足も先に出る、交互に踏み出す、前のめりに。
倒れないために、全力疾走する。


彼女とは幾度か、タロットのセッションを行った。
少しずつ心は落ち着き、自罰的なふるまいも減り、
時間軸の中の自分、を考えるようになっていた。

何か、自分を表現したい。
でも、わたし、表現するような自分がないの。

変ですよね、と言いながらも、笑っていた。

小さい頃は歌手になりたかったんですよね……
ボイストレーニングとか、行ってみようかな……


そう話したのが最後で、それからの彼女の消息はわからない。
今でも。ふと気になって、彼女のことを考えながらカードを引いてみることがある。

展開のどこかに、いつもワンドの2が出る。

正位置だ。

きっと、しっかりと自分の脚で、この世界に立っているのだろう。

全力疾走しているのかもしれない。
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ACE of WANDS

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わたしたちが何かを決めるとき、脳ではその七秒も前に、決断を意味する神経の発火活動が起こっているという。


「これだ!」と選択した瞬間のずっと前に、脳内では決定のプロセスが進行している。
ぎりぎりまで考え抜いて、諾か否かを悩みに悩んで、ようやく決めたことなのに
神経系統には先に答えがわかっていて、事前に動き始めているという事実。


わたしたちの「意志」とは何なのか、考えさせてくれる事実だと思う。


結局、すべての判断を下しているのは広大な無意識なのだろうか?
思考とは、インスピレーションのはるか後を、よたよたと遅れてついていくだけのものなのか?

それについて考えるとき、一枚のタロットを思い浮かべる。

ワンドのAである。


ワンドのAからペンタクルの10まで、小アルカナの40枚は“ひとつながり”になっている。
まるで、神経系が脳や脊髄から末梢神経の端々にまでしっかりとつながっているように。


「カバラの四界」という考え方がある。

ユダヤ教……というよりは、その西欧的な解釈の“クリスチャン・カバラ”では
生命の樹、というものを思想の中心に据えている。

生命の樹とは、10個の円(ほんとうは球)が22本の線(ほんとうは道)でつながった、
迷路のような、星座のような、集積回路のような、バクテリオファージのような、奇妙に美しい図形だ。

その生命の樹が上から下に(あくまで観念的な、階層としての上下)四本、並んで立っている。
上から順にワンド、カップ、ソード、ペンタクルの生命の樹が、縦につながって立っている。
それが「カバラの四界」である。

生命の樹のてっぺんにある一番目の球は、ケテル(王冠)という名前を持っている。
そこはエネルギーが発される点であり、光源であり、根源的な場所に接続されるコンセントでもある。
ここから流れ出した力が、径を辿って二番目の球に入り三番目、四番目……と進んでいき、
十番のマルクト(王国)に到達してゴール。
この十個の円球が、それぞれ小アルカナのAから10までに対応しているのだ。

ワンドのAはすべてのスタートになる。
「光あれ」という神の声のように、ビッグバンのように、そこからエネルギーが流出する。
言葉にも動作にも意識にすらならない、原初的な衝動が。
最終的な到達点めがけて、一気に発火するのだ。

ワンドの10でいっぱいにチャージされた意志と情動は、カップの世界に流れ込んでいく。
純粋すぎて何ものでもなかった衝動は、そこで感覚に結びつく。イメージを孕む。
豊かなインスピレーションが沸き上がる。カップの生命の樹をエネルギーが流れていき、

それはソードの世界に流入する。力はロゴスと情報を得る。最構築されデータとして再編集されて
言語による推論が生命の樹を巡る。ことばはコミュニケーションを呼び、精密になっていく。
ソードの10に到達したパワーは、螺旋状にうねりながらペンタクルの世界へと流れ、

ついに形を取る。意志とイメージと情報でしかなかったものが回転しながら凝縮し、元素となる。
粒子が生まれる。斥力で結びつき、空間を押し広げ、存在がたしかな形を取り始める。
物質があらゆる地点からやってくる。ひとつの形をつくるために遠くから飛来する。
そしてこの世界に、質量を持った現実が姿を現す。ペンタクルの10において完成する。


つまり。
わたしたちの意志はすべて、上記のプロセスを経て、この世界で実現する……ということである。
途中で流れが滞ったり、逆流したり、迷走したりしないかぎりは。


しかし。
悲しいことに、わたしたちの願いのうち叶うものは、ほんの一撮みにも満たない。
意志は、生命の樹のどこかでストップしてしまう。
現実化する前に、
やみくもな焦りのなかで、あるいはご都合主義的な妄想の中で、
またはとめどないお喋りの内に、三日坊主な努力のなかで、
消えてしまう。

この世界は叶わぬ願いで溢れ返っている。


タロットの仕事とは、本来ここにある。
なぜ意志が通らないのか、どうして願いが叶わないのか、
どの生命の樹のどこの場所で流れが滞っているのか、それを見つけるのだ。
エネルギーの渋滞を解消し、本来の道を流れるようにしてあげれば、
望んでいることはすべらかに現実化するのだから。


人が心の底から願うことは、光あれと叫ぶ神の声に呼応している。
私利私欲でなく、計算も本能も度外視した次元から放たれる「意志」の流出は
わたしたちの意識がコントロールできない、
知覚の七秒前の世界から始まっているのだから。
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タロットについて、書くことについて。

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昨日、perpignanのサイトで
「タロットについて、ブログを書いていく」
ことを宣言しました。

タロットリーディングを仕事にしていて、講師歴も含めてもはや二十年以上。
それについて発言することは当たり前なのかもしれませんが、
私はずっと、タロットのことを文章で発信することを、意識的に避けていました。

(以前の公式サイトで、“愚者のお言葉”というお笑い半分のコラムを書いてはいましたが…(^-^; )

書かなかった理由の筆頭は、やはり秘匿義務です。
鑑定やレッスンを行いながらタロットのことを書くと、どうしても実例を挙げて話を進めることが必要になり、それは相談者様や生徒さんのプライバシーに触れてしまうので、いかに匿名にしても書きにくい、ということです。

また、世の中にはたくさんのタロットリーダーさんがいらして、それぞれのご見解に基づいて活動されていますので、私の発言が否定的・対立的な見解と受け取られて、ご迷惑がかかるようなことがあっては…という思いもあり、二の足を踏んでいました。

さらに、これは完全なる甘えですが…
まだまだ未熟、まだまだ経験不足なのだから、後に残るような発言をすることで、後々に恥ずかしくて身動きもできないようなことになっちゃヤダな、という理由です。

これだけ長いこと講師をして、たくさんのタロット占い師さんのデビューを(微力ながら)支えておいて、いまさら何を!
と、怒られてしまいそうですね。

しかし、私は出生ホロスコープの惑星のうち8個が乙女座で重なっている、という
スーパー乙女座。スーパー小心者。
めちゃくちゃ細かくて心配性で重箱の隅をつつきまくる性格。表立って何かすると思うだけて心臓バクバクです(-_-;)

ずっと陰にいたい!闇にひっそり潜んでいたい~、と思ってしまう性分が
「やるべきこと」をサボる言い訳になっていることに気付きました。

今回の意味深い新月をきっかけに、私も勇気を出して変わろうと思います。
誰かがリードしてくれたら、いくらでも働ける超乙女座のサブキャラ体質ですが…
(サイトを開くときもそう!タロットドリルを作るときもそう!自分からは、前に出ない性格が恨めしい~(@_@))

今回は自分だけの勇気で踏み出して、
いかに逆風を浴びようとも、
タロットについて。
正直にはっきりと、時にラディカルに?
書き続けていこうと思います。